デジカメはやっぱりカメラだった
そんなこんなで、数年使っていなかったデジカメを引っ張り出すに至りました。
では久しぶりに使ってみたカメラの感触はどうだったでしょうか。
結論から言うと、結構楽しいです。
スマホの「ピッ」という音だけでなく、実際に「パシャッ」とシャッターが動く音と感触も良いものです。
背面の液晶が少し劣化してきたのか、暗くて(おまけに解像度も悪いので)狙った通りに撮れたのか、家に戻ってパソコンで見るまでいまいちよく分からないのですが、しばらく使っていると大凡の感覚は掴めてきました。
また背面液晶がチルトするので、ローアングルやハイアングルで撮る場合に無理な姿勢をする必要がなく、撮影しやすいです。
あと、やっぱり画質が良いですね。
キチンと設定してやれば、同じ桜でもいろんな風情を写し取ることが出来ます。PCの大きな画面で確認しても細部まできっちり写っています。
以前はここまで出来ていなかったんだなぁと思いました。
こんな事を言うと「当たり前だ」と言われそうですが、やっぱり写真を撮ることに特化した機械なんだと改めて思えました。
総括しますと。
桜の撮影のように「今日はここでこれを撮る!」と決めた時はもう絶対に持っていこうと思います。むしろそんな時にスマホで済ませる意味が分からなくなりました。
それ以外のとき。例えばどこかに出かける時、写真を撮るかどうかわからない時に、ついでに持っていく気になれるかどうか。
ただデジタル一眼の中でもかなり軽量コンパクトな部類に入るので、レンズさえ小型のものを選べば、それほど持ち歩くことが苦にはならないと思います。
カバンのスミにでも入れておければ…けどカバンにしまいこんでしまうと、いざという時取り出すのが手間になるんですよね。
常に手元に無いと用をなさないのがカメラなので。
そんなわけで、また徐々に使わなくなっていくのではないか…という気がしなくもないです。
まあプロ写真家になる訳ではないので、あまり思いつめて考えるのはやめましょう。
プロの方でも、大きなものから小さなものまで、状況に合わせて様々なカメラを使いこなしているそうです。どれか一つに限定する必要はないでしょう(さすがにプロの方はスマホカメラを作品撮影に使わないと思いますが)
持っていける時は出来るだけ持っていき、出来るだけこれで撮影しようと、改めて思ったカメラでした。
デジタルカメラの思い出 その2
さて昨日の続きを書いていこうかと思います。
昨日は、何かの血の迷いでデジタル一眼レフカメラを買ってしまったところまででした。
CanonのEOS Kissシリーズと言えば、一眼レフデジカメのエントリーモデル。いわばシロート用に設計されています。
具体的に言うと、細かい設定を知らなくても全部カメラにおまかせモードで撮影が出来ます。
今見直してみても「ほぅ…」と思ってしまうような写真もあるにはありました。
だからと言ってカメラ任せで何もかも上手く行く訳でもありませんので、大抵は「あー、うん」程度です。構図も三等分に配置するやつしか知らなかったし。
ただ2003年末から2009年まで使い続け、その間の写真もそれまでを圧倒する枚数を残していました。
その後、EOS Kissをパッタリと使わなくなりました。
順番を追ってみていくと、使わなくなる数年前から団体旅行(社員旅行)等には持っていかなくなっていました。
多分ですが、大きいし重いし、面倒くさくなってしまったのでしょう。一人でドライブに出掛けたときなどは持ち歩いていたようですが。
では何を使っていたかと言うと、ミノルタのDimageXに戻っていました。
つまりまあ、私の写真に対する情熱というのは昔から、盛り上がったり冷めたりの繰り返しだったわけです。
ただ、年間の撮影枚数はあまり減らなくなりました。
どこかに出掛けたら写真を撮る。出掛けなくても気になるものを見かけたら写真を撮る。という習慣が根付いたようです。
ほそぼそと続いていた写真習慣ですが、今一度熱が盛り上がる時がきました。
隣町で燈籠祭が開催されました。燈籠を写真に収めたくて参加してみたのですが、コンデジではまともに写りませんでした。
ほぼ例外なく手ブレ。かろうじて写っていた一枚も、暗闇の中に点々と明かりが写っているだけで、情緒もへったくれもありませんでした。
この時に「デジタル一眼があれば綺麗に写せるかも」と考えたんだと思います。
ただEOS Kissはもう処分してしまっているので手元にありません。となると新しいのを買うしかない。
というわけで(多分そんな感じだったと思う)、再び血の迷いで新しく買ってしまったのが、今も使っている、OlympusのE-PL3 というデジタル一眼でした。
何故Canonにしなかったのかというと、多分大きさでしょうね。Olympusのデジタル一眼は、当時画期的なほど小型でした。
レフ(光学ファインダー)が無く、新規設計に小さく設計された撮像センサー用にボディもレンズも新しく設計されたものでした。まあセンサーが小さい分、暗闇での撮影には不利なのですが…
ただ大きくて持ち歩かなくなったEOS Kissの轍を踏まないために、小型化は自分の中で必須だったわけです。
燈籠を撮りたかったのに、若干方向性がブレた気もしますが、結果としてこの選択は(個人的には)正解でした。
その後3年間の撮影枚数は過去一となりました。団体旅行(社員旅行)にも持っていくようになりましたし。
本当に色んな所に持ち歩いていたのですが、2014年末頃からパッタリと持ち歩かなくなってしまいました。
スマホ(Nexus5)を購入したのです。
スマホがデジタル一眼の完全な代替になるわけではありませんが、スマホカメラは意外と暗所撮影にも強く、何よりも持ち歩きが全く苦になりません。
おまけに撮った画がそのまますぐに見られるので、映りが悪ければ何度でも撮り直し出来ます。
自分のカメラの使い方としては、とても相性が良かったのです。
スマホ購入以降、本当にデジタル一眼の出番は減り、ほぼ「桜専用」カメラと化しました。
それすらも近年ではスマホに座を奪われてしまってました。
そんな訳でE-PL3は3年近く封印されてしまっていたのですが、最近になってまたぞろ引っ張り出してきました。
引っ張り出してきた理由…簡単に言うと「もったいない」と思ったのですが…
なにせこのE-PL3、交換用のレンズを何本か買っちゃっていました。
カメラ本体を含め、その全てが別に傷みもせず、故障もせず、カビも生えず、問題なく使える状態だったのです。
とは言え10年も昔の製品です。仮に売り払ったとしても大した値段も付かないでしょう。
だったらもう一度使ってみようと。
ついでに、良い機会だからちょっと勉強してみようと。そう思った次第です。
幸い、時間はあることだし…
久しぶりに一眼カメラを使った感想などは、また次回以降にでも。
デジタルカメラの思い出
2ヶ月ほど前にカメラの話しを少ししましたが、ハッキリ「趣味です」と言えるほど熱心でないこともあり、その後は時々話題にする程度でした。
実際のところ、桜の季節が終わるとともに出番も少しずつ減ってきています。
ですが、せっかくのGWということもあり、今少し話題に取り上げてみようかと思います。
たとえ私が飽きてしまっても、他の誰かに興味を持ってもらえるかもしれないですし。
というわけで、まず最初に私とカメラとの出会いと言うか、どのように関わってきたかを話してみようかと思います。
私はデジカメネイティブな時代の生まれではないので、元々写真との関わりは希薄でした。
フィルム時代のカメラを知っている方なら分かると思いますが、カメラの他、撮影のためのフィルムを購入し、更にそれを現像に出して写真にしてもらう必要があります。
お金も手間もかかる代物で、写真を撮るのはなにかの記念とかそんな時だけ。今のように何でもかんでもパシャパシャ撮っとけという時代ではありませんでした。
時代は下り、1995年ごろでしょうか。世の中に「デジタルカメラ」なるものが登場し始めました。
撮った写真を画像データとしてそのままパソコンに保存でき、カメラを買ったらフィルムも現像も要らないという、衝撃的な代物でした。
当初はカメラメーカーが参入していなかったこともあり、画質も酷いものが多かったですが、直にカメラメーカーも参入せざるを得ないほどの人気を博していきました。
ところで今の若い人(そんな方がこんなブログを見ているか分かりませんが)は、携帯電話(スマホ)にカメラが付いたものって、iPhoneが初めてだと思っていないでしょうか。
初代iPhoneより遡ること7年前、日本のJ-PHONEが携帯電話にカメラを搭載し、メールで写真を送れる「写メール」を世に出したのが、恐らく世界で最初ではないかと思います。
当時の私、どういう訳かこれが非常に欲しくなりまして、携帯端末をJ-PHONEに乗り換えてしまいました。
ただ何を撮影していたか、今となっては分かりません。多分ですがメモ代わりに撮影していただけだと思います。
メールで写真を送るとパケ代が高く付くし、SDカードなどでバックアップも出来なかったように思うので、ほとんどすべてが携帯端末の処分と同時に失われてしまいました。
写メールが登場した2000年ごろにはカメラメーカーのデジカメ市場への参入も進み、画質も向上してきました。
この頃、父がデジカメを購入しました。
何故覚えているかと言うと、ドライブのときに借りていったらしく、何枚かの写真がパソコンに残っていたからです。
20年以上前の写真が残ってるって凄いなと、ちょっと感動してしまいました。
まあ写真の内容は大したことがなく、写メールの延長のような記録写真ばかりでした。どこへ行ってきたか、どのような道を通ってきたか、道路案内の青看板ばかり撮っていたようです。
そのため字が読めればいいだけなので、撮った画像も縮小して保存していました。
話しが少し飛びますが、この当時メールだけでお付き合いしていた女性がいました。所謂メル友というやつですね。私にだって、そんな時代があったのです。まあそんな与太は置いておいて。
メールを送り合ううち、どこかに旅行したときなど、現地で撮った写真をこの方に送ったりするようになりました。
そのときに初めて「撮った写真を人に見せる」ことを意識するようになってきました。
少し大きめの画像にして、写真の写りなども気にするようになってきたわけです。
そして遂に2002年、私は初めて自分のデジカメを購入しました。ミノルタのDimage Xというコンデジでした。
これでバシバシ写真を撮りまくって…というわけでもなく残っている写真は年間数十枚程度。基本的に出不精は変わらなかったようです。では何故買ったのでしょうね。
更に1年後の2003年。何を思ったか、CanonのEOS Kiss Digital を購入しました。レンズ交換式の一眼レフデジカメです。
一眼カメラに対するあこがれがあったのか、もしくは件の女性や、社員旅行のときに撮った写真を社内で見せて「上手!」とおだてられて自惚れたのか。
残っている画像を見ていると、この時から枚数、回数ともに急激に増えています。
ヘタなのはともかくとして、いっちょ前に構図を考えたかのような写真になってきています。
凄いですね。それなりの機材を買うと行動も変わるんですね。
ただ「絞り」だの「シャッター速度」だの、何も勉強していなかったので、全てカメラ任せの撮影ばかりでした(それでもそれなりに写るのはさすがキャノン)。
おまけに交換レンズは1本も買わず、ボディと一緒に付いていたキットレンズだけで終わりました。
それでも2009年まで7年間使い続けてますので、趣味とまで言えないまでも、デジカメが切り離せない一部になったのはやはりこのカメラの影響だったのでしょう。
想像以上に長くなったので続きは次回以降に。
失業手当は国保の支払いに消えた
新年度が始まってから早一ヶ月。4月も末日になりました。
1〜3月はそれ程感じませんでしたが、本当に4月はあっという間に経過してしまったように感じました。
今年は桜を撮るために西へ東へ・・・まあ近場ばかりですけど、存分に写真に収めることが出来ました。
なのであっという間のように感じたんでしょうかね。
月末ということで締めを行いました。
今月は失業手当の給付があったので、総貯金額が増えるのではないかと期待しましたが…健康保険の納付額が大きすぎて、結局マイナスとなりました。
3ヶ月だけなのに何故あんなに高いんだ(ブツブツ…)
出費関係で、退職前に想定していた内容と違うことは、ガソリン代が思ったよりかからないこと。
これほどガソリン価格が上がっているのに、今までの1/3くらいで済んでいます。
あと、外食の機会などが増えて出費もかかるようになるのではないかと思っていましたが、何も増えていません。出張が無くなった分、外食機会は逆に減りました。
まあもうすぐ花粉の季節も終わりますし、そうなると外出も増える可能性があるので、これらも増えてくるかもしれませんが。
お金について、残高帳を付けるようにしようかと考えてます。
総資産の残高は当然今までも記録していますが、そうではなくこづかいの残金です。
3万円/月 のこづかいからいくら使い、いくら余っているか。
旅行に行ったり高い買い物をする場合、当然ここから捻出するつもりでいます。いちいち臨時予算を組んでいては、出費が膨らむばかりですからね。
まだそれほど月数も経っていないので、いちいち計算すれば済んでいたのですが、そろそろ対策しておかないと、そのうち計算が面倒になってきそうなので、記録を付けるようにしていきます。
3年ぶりのゴールデンウィークらしいです
今日からゴールデンウィークが始まりました。
緊急事態宣言が出ていないゴールデンウィークは実に3年ぶりとのこと。
個人的にはこの時期に外出する習慣がないもので何も感じませんでしたが、待ちわびていた人も多いのでしょう。
新幹線も乗車率が100%を越えた列車があったようで、飛行機も航路によっては臨時便を出したとか。
道路なども結構渋滞しているようです。
観光地としては万々歳だと思いますが、コロナ自体は治まったわけではないので、両手を上げて喜んでもいられない感じでしょうか。
一旦クラスターが発生してしまうと、その後の対策のためにまた多大な費用がかかりますし。
それに海外からの観光客がないので、客足もまだ物足りないかもしれません。
国の方針として、徐々にコロナ対策を減らしていくような空気が見て取れます。
4回めのワクチン接種も、高齢者や基礎疾患のある人のみに限定する方向で考えているようです。
最近は強毒性変異株の話しも聞かなくなってきたので、様子を見ながら、徐々に普通の風邪と同じ扱いにしていこうとしているのかもしれません。
弱毒性なのに感染力だけが強いものを完全に抑え込もうとするのは大変ですからね。
ただコロナウィルスは変異が非常に早いのと、流行の季節をあまり問わないようなところがあるので、油断しているといつの間にか強毒化したりしないか…と、ちょっと思ってしまいます。
なんせ変異はランダムに起こるものなので、予測出来ませんしね。
希望としては、ゴールデンウィークが終わってもそれ程感染が広がらずに済み、これならもっと旅行などをしても大丈夫だねとなってくれるといいのですが、多分そんな甘い考え通りにはならないでしょう。
明けにもう一度感染のピークが来て、また締め付けが厳しくなり、経済も落ち込むことになるのでしょうか。
空前の円安も絡んで経済が冷え込んでいきそうな昨今、なんとか経済を回す対策をお願いしたいものです。
預けてたカネを返してもらってるだけと思おう
ウォーキングのついでに銀行に立ち寄り、記帳を行ってきました。
失業手当の振込を確認するためです(他の用事もあったんですけどね)。
金額は大した事ありませんが、失業後始めてもらう手当。そして働かずに受け取る初めてのお金になります。
働かずとも貰えるなんて、なんて有り難い。もう国に足を向けて眠れないです…って、原資は毎月の給与から雇用保険料として天引きされてたお金なんですから、自分で払ってた分を自分でもらってるだけじゃないですか。何を卑下する必要がありますか。
(分かった上で色々省略してますので、どうかツッコミ無用でお願いします)
けどですね、こういったセーフティネットを利用することを卑下するのではなくて、少しくらい厚かましく堂々と受け取るようにしたほうが良いと思うんです。
綺麗事を言っていても、人の世はカネがないと生きていけません。
明日どころか今日の生活にも困っている状態になっても「国に頼るのは恥ずかしい」とか「国に迷惑がかかる」なんていうのはどう考えてもおかしい話です。
カネに困って犯罪に手を染めるほうがよっぽど「恥ずかしく」「国に迷惑をかける」ことになるはず。
それに先程も言いましたとおり、セーフティネットの原資は自分が元気なときに働いて収めていたお金です。
預けていたお金を返してもらうだけなんです。
そう思えば気も楽になりませんか?
・・・まあ厚かましくと言っても、不正受給はもちろんダメですけどね。
円仕組み預金の満期
すっかり忘れてしまっていたことがありました。まあ、忘れたからといって大問題になるようなことではありませんが。
住信SBI銀行の円仕組み預金のうち1組が4月16日で満期日となっていました。
もし(この時点で既に信用がない)無事に満期を迎えていたならば、次の仕組み預金の準備をしなければなりません。
急いで確認したところ、やっぱりと言いますか、一年延長になっていました。普通預金口座には利息だけが振り込まれていました。
これで3年目に突入です。
満期が延期になったため、悔しいので現在の年利は確認しませんでした。
少し前までは0.16%でしたね。ちなみにこれは年利0.13%の預金なので、多分今もこれより高い利率になっているのでしょう。
ただ景気が少し後退してきているので、ひょっとしたら少し下がってるかもしれません。…そこまで気になるなら見ろって話ですが。
利息は1年間で1,244円でした。
定期預金の利息と思えば破格に高いですが、最近は投信等の値動きが荒く、そっちのインパクトが大きいために地味に思えてしまいます。
まあこっちは、定期預金よりはマシ程度で預けているだけなので、これでいいのです。
このようにうっかり忘れて放置していても元本割れしない、元本割れを許容したくないお金もあるということで。