完璧主義ではなくセンシティブだったのかも
日頃、仕事に対しては後ろ向きな愚痴しか言わない私ですが、初めから全くやる気が無かったわけではありません。
これでも入社当初はそれなりに勤労意欲に燃えていましたし、資格試験などにも毎年積極的にチャレンジしていました。
これには理由もあって、入社した当時、資格取得に対する報酬が非常に高かったのです。資格を取得すると年度末に報奨金がもらえ、新入社員だった私にとってその額は結構なものでした。
噂によると昇給や昇級にも影響があったようなのですが…すぐに報奨金は改められ、著しく減額された後、そもそも報奨制度自体が無くなりました。
なんか「自分のための勉強や試験なのに会社がカネを出すのはおかしい」と当時の社長が言ったとか言わないとか…
だからと言ってすぐに「もうやーめた」とは言いませんが、まあ動機が薄くなるのは当然ですよね。
話は逸れますが、報奨がなくなった弊害はもう一つありました。
誰がどんなが資格を取ったか分からない為、誰も積極的に資格習得に動かなくなっていったのです。
評価もされず、仕事の邪魔にしかならないなら誰も取りたがりませんよね。
資格試験はそんな感じでしたが、それでも仕事に対する情熱をすぐに失ったわけではありません。
毎年のように部署編成が変わり、その度に人員を減らされても、当時は「それだけ自分が今の仕事に対して信頼されている」と思っていたので、どれほど忙しくてもそれなりに頑張っていました。
今思うと、その「頑張る」方向性を少し間違っていたのかもしれません。
仕事を遅らせることがないように。
顧客に不満を持たれないように。
会社に迷惑をかけないように。
同僚に迷惑をかけないように。
一つ一つは正しいのですが、思いが強くなりすぎて段々と仕事を一人で抱え込みがちになっていきました。
当時、私の仕事の結果に関しては社内でそれなりに信頼されていたと思います。
もし何かミスをしても、担当営業氏から「珍しいね!?」と言われるくらいでした。
基本的に間違いが少ない。あっても対応が早い。なので、自分は何も間違っていないと思ってました。
その考えがそもそも間違っていたのかもしれません。その結果、遂に私一人しか居なくなり、全ての責任を負わされる羽目になったように思います。
一人では当然、仕事を回しきれない場面も出てきます。この頃のストレスの激しさは、今まで出来ていたことが切り盛りしきれず、他人に手伝ってもらう場面が出てきたのも大きいかもしれません。
慣れていた仕事が出来なくなり、他人を動かす不慣れな仕事へ。
そして人を動かしていると、自身はエンジニアとして評価されなくなっていきます。
そして慣れない仕事は段取りも悪く、ミスが増えたり、段取りが悪くなったりしがちです。
人を動かす業務に関して、私の評価は上がらなくなります。
人間は、努力が認められないと摩耗し、疲弊していくものなのでしょう。
仕事が嫌で嫌で、職場に行くことすら億劫になるのは時間の問題でした。
今思えば、配置転換を申し出ても良かったのかもしれません。
ただそれすら私は「職場放棄」と受け取られるのではないかと思い、何も出来ませんでした。
徐々に追い詰められ、逃げ場のない袋小路に閉じ込められた気分になっていました。
別に誰が追い詰めていたわけでもなく、自分で袋小路に逃げ込んでいたのかもしれませんが。
2年前に「辞めよう」と心に決めてから、正直言ってかなり気持ちが軽くなりました。
もういいや。なんと言われても、なんと思われてもいいや。辞めてしまえば誰とも顔を合わさずに済む。
何を言われたって聴くことも目の当たりにすることもない。
これが配置転換だったら、何かを言われた時に聴いてしまうかもしれない。嫌な顔を向けられるのを見てしまうかもしれない。けど辞めるのなら関係ない。
こんな心境なので、出来るだけ退職日の日程は後ろにずらしたくありません。最終的に目標金額に届かなくても、その分は節約でも何でもして、出来る限り予定通りに切り上げてしまいたいのです。
なんだかまとまりが無くなってしまいました。長文、乱文、すみません。