FIREを否定する人を信じてはいけない
FIRE(Financial Independence, Retire Early)が一般化するに連れ、次第にメディアで報道されたり、FIREを指南する書籍が出てきたり、逆に否定する意見が出てきたりしています。
特に今はFIRE推しが一段落したのか、否定的な意見を著名人から聞き出して取り上げる例が増えてきたように思います。
ただ、私は思うのです。
タイトルのとおりですが「FIREを否定する人を信じてはいけない」と。
何故なら、FIREは基本的に否定されるべき行為であるからです。
資本家から見れば、黙って働いてくれる人がいなければ自分の存在意義が消失します。
何せやつらは自分で額に汗して働くことを知りません。札束で人の頬をひっぱたいて働かせるのが仕事ですから。
国としても、働き手がいなくなれば税収が減り、経済が停滞し、やがては国が衰退します。
「うんと働き、運とお金を使う、真空パックの社会人を生産する」のがこの国の目論見なのです。
そうすることで(個人の幸福はさておき)経済は回り、国が反映するわけですから。
わざとドギツい、頭の悪そうな書き方をしましたが、働かない人が増えると困るのはこの世界にいる限り変わることはありません(国民に不労を推奨する国など、未だかつて聞いたことがないですし)
そもそもFIREを達成した側になっても、労働者がいなければ様々なサービスを受けたり、消費行動を行なうことは出来ません。
働く人の手でこの社会が動いていることは否定のしようがありません。
なので有識者ほど否定します。絶対に肯定する人は出ません。
だから、そういう人の意見を真に受けていると、いつまで経ってもFIREなど出来ません。
他者の意見を聞くことは大事です。特に、同じ様にFIREを目指している人、FIREを達成した人の意見を聞くのはすごく勉強になると思います(私のような末席を汚しているブログは置いておいて)
しかし、FIREするか、しないか。出来るのか、出来そうにないか。最後の最後は自分で判断するしか無いと思います。
残り少なくもない余生の身の振り方です。
「あの人がああ言ったから…」と:意見を曲げたところで、何かあってもその人は責任を取ってくれないし、助けてもくれません。
納得がいくまで計算し、計画を練り、出来ると判断したらエイヤと思い切るしか無いと思います。
(と、自分を奮い立たせてみる)