市民、幸福は義務です

Googleのオススメ記事などを見ていると、FIREに否定的な記事がずいぶんと増えてきました。

 

いくつかの記事を読んでみたのですが、内容としては概ね似通っていて、要するに「現段階で比較的人生成功した人が、上から目線で『仕事で金稼がないと惨めだよ?』『働いているほうが充実してるよ?』と諭してくれる」ような内容でした。

いや、多分に悪意に満ちた解釈をしていると思いますが(笑)

 

どうしても悪意ある解釈をしてしまうのは、

「自分は頑張ったから成功した。成功していないやつは頑張っていないから」

と、思い込んでいるように感じます。

ついでに言うと

「お金を使えないのって惨めでしょ?」

とも感じます。

 

ただね、件の記事(実は見つからなくなったのでリンクしていないのですが)の筆者が若い頃にしていた努力って、ほぼほぼ私も同じことをしていましたよ。

40代手前くらいまでは私もがむしゃらに働いて、それこそ月のうち3日も休んだかどうかという時期さえありました。

筆者と同じ、あの頃にはもう戻りたくないと思うような働きぶりでしたが、その人と違うのは「今は完全に燃え尽きてしまって、仕事への情熱が見いだせない」ことです。

あと、私ががむしゃらに働いている間に会社の規模は急成長したのに、私の給料は対して上がらず、結果的に浪費の癖がつかなかったことでしょうか(そもそもそれ程働いていて、どこでどうやって金を使うんだと思いましたけど)

 

寧ろそれ程しんどい思いをしてきて、どうして未だに仕事に情熱を傾けられるのか、私には分かりません。

単に浪費の魔力に取り憑かれて、稼ぐ以上に使いたい衝動に駆られているだけじゃないかと思えます。

 

まあね、次から次へと新しいもの、より高価なもの、より見栄えのするもの、より流行のものを購入し、湯水のようにお金を消費することを美徳とするかような時代が、昔はありました(働き出す前だったので詳しくは知りませんが)。

なので一定数の「お金を使えないことは惨めなこと」と考える人がいることは分かります。

かく言う自分とて「惨め」までは思いませんが、人より安いものを使っていると、若干引け目を感じることはあります。

 

けど、バンバンお金を使えないことを不幸だとも思いません。

寧ろ3年前から使うお金を減らすようにいろいろ工夫しだしてから、寧ろ少し楽しくなってきたとも感じています。

お金を使わなくてもこんな事が出来る。あるいは今までお金を払って人にやってもらっていたことを自分でやることで、こんな事が出来るようになった。

そういうのが非常に楽しいです。

 

予定通りであれば、来年私は自由の身になっているはずです。

その時自分はどんな事に挑戦できるだろうか。今は時間がかかったり手間がかかったりして出来ないことをやれるようになるのだろうかと、楽しみに考えています。

無論不安も色々あり、未だに葛藤を覚えていることもあるのですが…楽しみなのは偽らざる本音です。

 

この世はディストピアじゃないんですから、幸せのかたちは複数あってもいいじゃないですか。