死生観というか、宗教観というか

将来孤独死が確定している私のようなひとり者にとって、やはり自分の死後のことは気になります。

別にあの世のことではありません。自分の財産など。そして何よりこの世に残る自分の体(死体)のことについてです。

とは言え、当事者である自分にとっては何もしようがないことだし、私自信は葬式をあげてほしいとも、墓に埋葬して手厚く弔ってほしいとも思いません。

 

ただまあ自分のことはそこまで割り切れても、親きょうだいや親しい知人についてはそこまで割り切った考えは出来そうにないですし、生前親しくしていた人については出来る範囲で供養を努めようとは思ってます。

 

私は葬式や後々の供養は残された人が気持ちの整理をつけるための儀式だと思ってます。

なので、基本的に葬式は生きている人間の都合と事情に合わせてやればいいと。

 

だってですね。

あまり詳しくない仏教の教えを紐解いても、基本的に人は死んだ時点ですぐに成仏出来る仕組みになってるわけですね(宗派による)。

残された人が供養し続けないと、故人が成仏していられないなんてことは、どこにも書いてないんですね。

そもそも、ブッダも弟子たちに「自分の墓を建てて未来永劫供養してくれ」などとは言ってませんし。

 

墓を建てて、仏壇に毎日手を合わせることは、仏教の本質では無いはずなんです。

ただ、残された人が自分の気持ちに整理をつけるため、心の平穏を得るのに、こういった儀式は必要だったというだけだと思うのです。

 

世の中には信心深い人もいて、「自分のことは仕方ないとしても、ご先祖様の供養ができなくなるのは心苦しい」なんて人もいるかもしれませんが、一度冷静に考えてみて下さい。

この世で供養する人がいなくなったら、あの世を追い出されるのか?って話しです。

 

ついでにいうと仏教は輪廻転生の考えがありますから、どっちにしろいつまでもあの世に置いておいてはくれませんね。

 

まあ宗教的な考えはさておき。

自分の死後、いろいろな機関や人にご迷惑をかけることになってしまうのはちょっと心苦しいので、あまり自分の死体が酷くならないうちに発見されるような仕組みはなにか考えておかないといけないのかなぁと思ってます。

さらに、迷惑料として幾ばくかのお金が国庫に戻るように残せればなぁと思わなくもないですが、まあこればっかりはどうなるか分からないですし、その時次第になってしまうのでしょうか。