庭木の選定をしながら、会社の縮図を見た思いがした

我が家の、ゴールデンウィーク恒例行事となった庭木の剪定作業。今年も取り掛かることにしました。

いつの間にか人の背丈を越えて大きくなった木犀を、人の背丈ほどにまで小さくします。また敷地の外にはみ出さないようにしなければなりません。

 

いきなり切り始めると取り返しの付かないことになるかもしれないので、まずはじっくりと枝葉を観察します。

昨年までに切り落とした枝の先から、幾本もの枝が四方八方に伸びています。風や陽がよく通るように枝を梳くとしたら、これらの枝を減らしていけば良さそうです。

 

で、どうせなら出てきたばかりの若い枝を残したい。となると古い枝を切り落とすことになります。

…切り落としながら何やら、リストラされる中年サラリーマンを見る思いがしてきました。

やはり会社も植物も、若くて元気のあるものを残したいよね…

 

やや悲哀にくれながら、作業を進めます。

けど、古い枝を落としただけではまだまだ枝が多すぎます。

仕方がないので、隣の枝と絡み合うような枝や、ひょろひょろと細長く伸びてしまった枝は、若くても切り落とすようにしました。

…何やら出世競争に負けた若者を…嘘です。これは今思いつきました。

けど、将来に渡ってまっすぐ元気に伸びてくれそうなものを残したいのは会社も(ry

 

さて、思った以上に時間がかかってしまいましたが、少しばかり風通しや陽の当たりも良くなりました。

残念ながら専門の職人さんが刈るように、木の形を綺麗に整えるところまでは出来ませんでしたが。

それなりに満足して眺めていたのですが、昨年か一昨年くらいに、木の勢いが戻ってきてから切ろうと言っていた、大きな枝を切り落とすのを忘れていたことに気づきました。

文字通り、枝葉ばかりを見て、全体を見落としていたわけです。

これを忘れなければ、木の形も、そして風通しももっと良くなっていた筈なのに…

 

やはり構造改革を行う際は、細部ばかり見ずにまずは大鉈を振るうことが大事なのだと思いました。