意識低い系的「足るを知る」の解釈

「足るを知る」とはどういうことなのでしょう。

「人間は足るを知ることが大事」と説教をしている人を、ネットなどで見かけることがあります。

お寺の前などに、この様な文言が貼られていることもあります。

 

よく言われるのが「今自分が置かれた立場で満足する」「身の丈を越えた高望みをしない」といった感じでしょうか。

元々は老子の言葉らしいですね。今調べただけの付け焼き刃ですが。

 

例えば今の自分なら、自分が使えるお金だけで出来る生活を営み、世界一周だのカジノで豪遊だのといった夢を見るなということでしょうかね。

 

今ならそんな呑気なことを言っていられますが、仕事をしていた時だったらどうなるのか。

仕事が出来て収入があることに満足し、仕事の内容に文句をつけない。とかいった感じになるのかな?

 

急な出張も文句を言わずに。

とんでもない短納期案件でも喜んで引き受けて。

人が休んでいる時も働けることにむしろ感謝して。

たとえ給料が上がらなくても自己研鑚は怠らず…

 

無理!(笑)

 

それが我慢できなかったので今の生活に逃げた訳ですが。それは私が「足るを知らなかった」のでしょうか?いや多分違うと思います。違うと信じたい。

老子の教えを全て読んだわけではないので真意は分かりませんが、多分老子もこんなブラック礼賛のつもりで言ったわけではないでしょう。

あくまで人としての心構え、自分自身に対する心の持ちようを説いたのであって、他者に強要するものでは微塵もないと思います。思います…

 

まあ何にせよ、どんなありがたい教えも高尚な言葉も、使う人がクソだと人を縛る呪いになりかねないということです。

と無理やり結論づけて終わり。