バイクと私 #2(邂逅編)

思い出話の続きを書いていきたいと思います。

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幼い記憶の中になった ホンダ シャリィは、幼い記憶のうちに処分されました。

私は、その瞬間くらいは「オモチャを取り上げられた」気分になった気もしますが、じきにその存在を忘れてしまいました。

 

月日は流れ、大凡20年くらいでしょうか。

私が社会人になったころ、まだ仕事を続けていた母が異動になり、電車と徒歩では通えなくなったことを期に原付免許を取得し、スクーターを購入しました。

何度も繰り返しになりますが、私はバイクに興味がなかったし、ましてや買い物や通勤用のスクーターです。そこら辺にありふれて、地味で目立たない存在です

何処のメーカーの何と言う車種を購入したのかのすら、私は知ろうとしませんでした。

母にしてもメーカーや車種の知識があるわけでもなく、「荷物が沢山詰めるか」という基準で選んだと言っていました。

 

その直後くらいから私は一旦実家を離れ、一人暮らしになります。

知人や職場の同僚にはバイク乗りもいましたが、車があれば生活に不便を感じることはなく、何よりバイクのあの甲高いエンジン音が苦手で、一度も「乗りたい」とも「後ろに乗せてくれ」とも思いませんでした。

 

再び月日は流れ、、、

父が大手術を行い、その後入退院を繰り返すようになり、足腰の弱った祖母を親戚宅や施設へ送り迎えする役割が増えてきた私は、実家に戻ることにしました。

当時母はまだ現役で、件の原付スクーターにも毎日のように乗っていました。その時点で、購入時から15年は越えていたと思います。

今考えると、毎日毎日走り回っていて、事故にも一度遭ったのに、よく壊れないものだと思います。

 

そこからまた数年後のことですが、私はとある位置情報ゲームを始めました。INGRESSという、ポケモンGOの前身となるゲームです。

街中の至るところにある拠点を攻撃して自軍のものとし、更に他の自軍の拠点とリンクをつなぐことで陣取り合戦を行うゲームです。

そんなわけで拠点間の移動には車があると便利なのですが(※1)、拠点が道端や路地の奥にあると、車を何処かに停めざるを得ません。

人によっては平気で道の真ん中に車を停めたり、用事もないのに施設の駐車場に入り込んたりしていましたが、私はそういうのがイヤで、次第に「原付で移動すればもっとやりやすいかなぁ」と考えるようになってきました。

 

生まれてはじめて「バイクに乗る」という発想を抱いたのがこのときでした。

そして家には母の原付スクーターがまだありました。

今まで一度も興味を持たなかったバイク。今まで見向きもしなかった原付スクーター。

いくぶん外装はくたびれ、ネジ等の金属部に錆は浮いていましたが、購入から20年近く経過したとは思えない、痛みの少ない状態でした。

 

普通自動車免許は持っているので、原付(一種)なら私でも合法的に乗れます。そこでヘルメットやグローブなどは自分で購入し、一度試しに借りてみることにしました。

原付スクーターの名前は ヤマハ JOG POCHE

人生ではじめてエンジンのかかった二輪車に跨った、42歳の夏でした。

 

 

 

※1 元々運動不足解消のために、外に出「歩く」為に始めたのですが、いつの間にかゲームにハマりすぎ、車移動がメインになってしまいました。