画家ルソーは元祖FIRE者だった?

アンリ・ルソーとは、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家の名前です。

「言われてみれば聞いたことある」程度のこの人物について詳細を知ったのは、以前ブログで紹介した、例のYoutube動画でした。

ochiblo.hatenadiary.com

 

このルソーという人物、1844年にフランスの貧しい家に生まれ、高校中退後にすぐに働き始めるなど、決して裕福な生活ではなかったようです。

そして勤め先で問題を起こし、懲役の代わりに兵役を5年間こなしたあとパリに出て、入市税関の仕事を始めます。

そして49歳の時、22年間務めた税関を早期退職し、その後年金を受け取りながら専業画家として本格的に絵を書き始めたそうです。

 

まるっきり「FIRE」ですよね?

しかも画家として絵を描きながらだから、今風にいうと「サイドFIRE」でしょうか?

けどルソーの絵はなかなか売れず、年金も少額だったため、実際はかなりの「LeanFIRE」だったようです。

 

絵は早期退職する前から描いていたようですが、41歳の時に国の展覧会に出展するも落選。

その後、参加費を払えば誰でも無審査で出展できる「アンデパンダン展」の常連になるわけですが、なんとここでルソーの絵が新聞に紹介されることになります。

その記事のタイトルは「涙を流して笑わぬ者はなかった」

…要するに〇タ〇ソだったんですね。

 

そんな、画家としてはなかなか評価されなかったルソーですが、僅かな年金だけを頼りに早期退職して絵に没頭するなど、なかなか思い切りが良い性格のように思えます。

自分なら「絵が売れた試しもないのに絵で食っていけるわけがない…」と怯んでしまって、早期退職には踏み切れなかったと思います。

動画では、山田五郎氏の軽妙な語り口や、絶妙なタイミングで入る面白おかしいテロップなどのせいでルソーがかなりの楽天家のように見えてしまいますが、このエピソードだけを聞いてもやっぱりそうだったのかもしれないと思えてきます。

 

いつFIREを行うか。というのは難しい話で、誰でも迷うし、実行した場合も、しなかった場合も、やはり迷いや後悔が出てきます。

いくら準備しても不安は消えないし、準備に時間をかければかけるほど、自由な時間は減っていきます。

結局最後は楽天的に「なんとかなるさぁー!!」と思い切るしかないんでしょうかね。

決してルソー本人も、「絵を売りまくってがっぽがぽや!」と思って早期退職したわけではないと思うし。

 

ちなみにルソーの絵は後年、絵画のトレンドが変化してきたことや、ルソー自身が得意だった分野を存分に活かした画風に変わってきたことで、評価されるようになってきます。

そしてついには「今年は誰も笑わないだろうと信じる」と言わしめたとかなんとか。

 

人生、やっぱり最後は、どうなるか分からないものです。